天然ガス

GTCC(ガスタービンコンバインドサイクル)で脱原発

>> EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

>> EDIT

 ◆石内優さん(77)=当時10歳、旧八幡村(現佐伯区)在住
http://www.weekly-net.co.jp/logistics/post-6665.php
 ◇池で泳いで遊んだ 被ばく線量知りたい
 手元に「昭和62年(87年)12月24日 取り下げ」の判子が押された健康診断受診者証の交付申請書がある。原爆投下後に黒い雨を浴びた石内さんは、その3カ月前に佐伯区役所に申請した。しかし、雨を浴びたのは援護対象区域の範囲外だった。やむを得ず取り下げたのだ。それから四半世紀がたとうとしているが、国は区域をいまだ広げていない。「おかしかろう」とうめいた。

 当時、八幡国民学校5年。学校から西の山へ草刈りや材木採りに行く途中、原爆が落ちた。爆心地の西約10キロ。教師の指示で林道に伏せた。伏せる時に鎌で腕を切り、けがをしている同級生もいた。そのまま作業に向かった。空から落ちてくる燃えかすや黒い雨を浴びた。学校に帰ると爆風で窓ガラスが割れていた。石内さんが申請書に添付した「証明書」に、当時の引率教諭は「着ていた白いシャツに黒い斑点が澤山出来ました」(原文のまま)と記している。

 井戸水を飲み、畑で採れた野菜を食べ、ため池で泳いで遊んだ。終戦は、池で泳いだ帰りに近所のおばさんから「日本負けたんよ」と聞かされた。こうした暮らしをしながら、黒い雨や燃えかすに含まれた放射性物質を体内に取り込んだ、と感じている。

 戦後は左官の仕事をした。27歳の時、急に肝臓が悪くなり、仕事ができなくなった。35歳の時には食道が腫れ上がった。現在も胃腸の具合が悪く、通院を続けている。

 東京電力福島第1原発事故の推移を見守りながら、「今は(被ばく線量を測る)機械があってええが、黒い雨を受けた自分たちは、放射線をどれだけ浴びとるのか知りたい」と思う。国の線引きで手帳がもらえないことに「何でここに壁があるんか」といらだつ。【樋口岳大】



被曝EE】


| ニュース | 14:06 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント:

TRACKBACK URL

http://keikakuteiden1.blog.fc2.com/tb.php/383-f0b45ad1

TRACKBACK

<< PREV | PAGE-SELECT | NEXT >>

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。