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GTCC(ガスタービンコンバインドサイクル)で脱原発

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信仰告白

私は、科学というものは、信仰の対象であり、科学者とは、聖職者または古代の呪術師や陰陽師と同じ社会的役割を負っていると思う。

現代科学の最前線を素人は、理解出来ない。だから、素人にとって、科学は信用するかしないかという問題である。

科学とは何かを定義しないと、話が進まないので、暫定的にここで簡単に定義すると、科学者と言われる人の言説や理論を科学と呼ぶことにしよう。真の科学と似非科学は違うとよく言われるが、素人に理解出来ないものなのだから、区別をつけることはできないと思う。だから、その点は諦めて(物事諦めが肝心)上記のような定義をする。(この定義は、思いつきではなく、社会構成主義的な定義である。)

いま、放射線の危険性や安全性の科学議論が盛んだ。ある科学者に言わせると、被曝はどんなに少なくてもそれなりの危険があり、一般公衆の年間1ミリシーベルトの現在の基準値(ICRP)でさえ、危険かもしれないという警告を発している。

一方、少数派かもしれないが、ICRPの基準は、科学的根拠を欠いており、基準値を科学的に決めるならば、現在の1000倍でも安全だと言う科学者がいるらしい。

オックスフォード大学のアリソン名誉教授の安全論
(池田信夫ブログ、原発の被災者は帰宅させよ)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/

こういうふうに、科学者の言うことが、1000倍も違う場合、判断は難しい。被曝は、我々の命に関わる問題なのだから、安全側に基準を設けるというのは当たり前の判断であろう。子を持つ親は、この事を深刻に受け止めているのである。

池田信夫は、「アリソン名誉教授」を信じていて、「原発の被災者は帰宅させよ」と言うが、別の科学者は危険だと言っているので、そちらを信じた人にとっては、「原発の被災者は帰宅させよ」など、とんでもないことということになる。この両者の間に議論が起きたとしても、決着はつかない。なぜなら、両者ともに、科学を信仰しており、信仰告白をしているにすぎないからだ。

池田信夫の滑稽さは、物事を科学的に議論すべきと言いながら、ある科学者の理論を信仰し、その信仰告白をしているのに気がついていない点である。または、「自分は、科学者の議論を科学的に正誤判断ができる」という全能妄想に取り付かれている。素人が科学の最前線の議論を科学的に正誤判定ができるわけがない。(素人判断のほうが正しい時もあるが、それは、素人が科学的に判断したのではない)

ただし、我々、脱原発派は、科学者の言うことを鵜呑みにして信仰しているわけではない。科学者の議論の正誤判定をしているわけではない。

行政に対して、何を基準にしているかを問うているのである。ICRPの基準だというから、ならば、内部被曝や食品からの被曝を考慮すれば、いまの基準は矛盾しているし、危険ではないかと言っているのである。

科学者にいろいろな意見があるのなら、なるべく安全側に基準を定めて欲しいと言っているのである。科学議論などしているわけではない。

科学者が、別に特別な人間であるはずはなく、医者、弁護士、建築家、大工、絵描きなどなどの一般的な専門家の一種である。頭のオカシイ者もいれば、何らかの利益によって嘘をつく者もいるであろう。

専門家の言うことを信仰したり、鵜呑みにしたりなどしないのが常識的な大人の判断であろう。専門家の意見に食い違いがあれば、場合によってどこら辺を取り入れるかの判断は難しいが、命に関わることであれば、安全側に決める。当たり前だ。そういう常識的な判断ができない変な人達が原発推進論という信仰告白をしている。大声で叫んでいる。

脱原発論議では、「私は科学的に正しい」または、「どちらが科学的に正しいか」という議論は不毛である(私の経験論です)。原発推進論者は、その不毛な議論に誘い込もうとしているのであろう。

ICRPの基準の1000倍の被曝でも「科学的に」安全だとか、原発の事故確率を「科学的に」計算しなおしてみると、5000年に一回の確率だとか、原発推進安全論は、ここまで来ると、頭がオカシイとしか、私には見えない。

蛇足
私は科学不信を語っているわけではない。科学は、普遍性を自称しますが、それがはた迷惑なので、科学を便利な道具という正常な位置に置きたいと思うだけです。科学は過大評価され、神聖視されている。信仰の対象にすらなっている現状は危険だと思います。

具体的に言えば、被ばく線量限度の科学論争は神学論争みたいなもので、不毛です。専門家が勝手にやっていればいいのです。我々は、道具として科学を見て、上手に使えばいいだけです。

【原発安全神話DDD】【被曝EE】


| 脱原発日記 | 10:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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