天然ガス

GTCC(ガスタービンコンバインドサイクル)で脱原発

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啓蒙主義そのものが間違っているんじゃないか。

誰かに何かを教えようと言う気持ちを持つ場合、それが押し付けになっては逆効果という「だけ」ではなく、啓蒙主義そのものが間違えの元ではないだろうか。
啓蒙しようと言う場合、
1)私は正しいことを知っている
2)相手は正しいことを知らない

上記二つの前提に立っている。この前提自身が傲慢ではないか。
たとえば、原発推進論者は、まさにこの二つの前提に立って、理論を構築し行き着いた先は、原発は絶対安全だという、安全神話。そして、60億円の宣伝費をかけた「無知蒙昧な」国民の啓蒙。彼らの行動を支えている自己正当化の論理は、まさに啓蒙主義。




私は、正しいことや正義と言うものを否定するつもりはまったくないが、自分が正しい認識をしているとか、自分が正義の立場に立っているという確信を「強く」持った時は危険だと思っている。

正義や正しさをどうして、部分的な情報しか持たない人間が掴むことができるのか。掴んだと確信できるのか。

正義や正しさは、歴史が判定するものだと思う。現在の私にはその能力はないのではないか。また、私の持つ正しいことや正義と言うものがあったとしても、それは、私自身が判定するものではない。

ならば、どうするか。私の持っている情報を整理分析する。分かりやすくして、あなたに読んで欲しい。そして、あなたはどう思うのか問いかける。私は問いかけることをこれからも続けていくつもりだ。

啓蒙と問いかけは、似ている点もあるが、決して同じものではない。
私は、問いかけ、あなたの答えに耳を傾ける。啓蒙者は聞く耳を持たない。

問いかける時、私は正しくないかもしれないと言う自己懐疑を持っている。私の知らない事情があるのではないかと言う、無知の自覚がある(つもり)。

知者は、自己の無知を十分自覚している。無知の自覚から知恵が沸くのだ(と、ブッタは言っていると思う)。

事故の起こる確率は数百万年に一度。なぜなら、原発は、全てが計算しつくされ、安全に関して十分考慮され、(ほとんど)全てを分かった上で安全が計算されているのだから。こういう「私は全てを知っている」と言う傲慢が、原発神話を支えていたと思う。

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